目次
ロベール・ウーダン
1805~1871
時計職人で40歳でマジシャンに転向した、今までのマジシャンのイメージを変えるため、正装とシルクハットで機械仕掛けの舞台でマジックを披露してエンターテインメント化した人物、後にフランスを救ったとされる英雄の称号も与えられる。
ハリー・フーディーニ
1874~1926
ローベル・ウーダンの著書に影響を受けマジシャンになった、手先が器用ではないので脱出芸に特化した人物、世界各地でツアーをするなど勢力的かつ挑戦的に活動したマジシャン。霊界の存在を確かめようとした人物でもあった。
ハワード・サーストン
1869~1936
ハワード・サーストンの三原則は当時のマジシャンの大原則
- 「マジックを演じる前に、現象を説明してはならない」
- 「同じマジックを2度繰り返して見せてはならない」
- 「種明かしをしてはならない」
共通してるのは、マジックの意外性をなくす行為は極力避けよという事です。
石田 天海
1889~1972
22歳の時、明治天皇の御前でトランプ、タバコ、ボール、ロープなど手品を披露、1924年、後延の天勝一座と共に渡米。公演後日本に帰国、天海は夫人とアメリカに残り、1958年まで30年以上、アメリカで活躍
松旭斎 天一
1853~1912
明治時代のマジシャン 日本近代奇術の祖
明治9年(1876年)に大阪で貿易商を営み、興行や見世物も行っていた西洋人と知り合い、西洋手品を学ぶ。
弟子で養子に松旭斎天二、松旭斎天勝、松旭斎天洋、松旭斎天秀がいる
著書に「西洋手品種明し」がある。日本奇術協会により福井市大名町交差点付近に没後100年記念の石碑が建立された
松旭斎 天勝
1886~1944
松旭斎天一の弟子でアメリカ、ヨーロッパ巡業で大成功を収める
質屋の家業が失敗、天ぷら屋に奉公人として勤める。店主が松旭斎天一で器用さを見込まれ弟子として採用された。天一の妾になり自殺を図る、奇術を学ぶべく妾を宿命とし受け入れた。弟子70人の「天一一座」でスターとして頭角を表し、「天勝」と名乗って舞台へ出演した。
チャニング・ポロック
1926~2006
「鳩出しマジック」で名前を上げた人、奇術の学校「チャベツ・スクール」をとても優秀な成績で卒業した後、プロとして活躍、大量の鳩をハンカチなどから出して世界的に有名になった、その後模倣も増えた。
映画「ヨーロッパの夜」にも出演 映画スターでもあった
ダイ・バーノン
1894~1992
現在のカードマジックの神様、98歳で他界それまで知識量や弟子の多さから、プロフェッサーの愛称で呼ばれていた。若いころは紙切り芸をしていた。筆不精なので著書はほとんどない
エド・マルロー
ダイ・ヴァーノンに並ぶ神様的存在、カードマジックの研究家でした。ダイ・バーノンと違い著書が60冊以上ある。雑誌などの2000以上のマジックやアイディアを提供し、飛行機嫌いでシカゴから出ることがほとんどなかった
デビット・カッパーフィールド
1956~
世界的なマジシャン、16歳でニューヨーク大学でマジック学の教授と迎えられ、万里の長城を通り抜けたり、7トンのジェット機を消してたり、大掛かりなイリュージョンマジックの面白さを世界中に知らしめた功績は大きいものでした。20年で500以上の大ステージをこなしたビリオネアです。
ジークフリード&ロイ
1939
1944~
「ラスベガスでマジックは成功しない」と言われていましたが、70年代半ば二人に兄弟がラスベガスに奇跡が起こりました。本物の象やホワイトタイガーなどを使い幻想的なマジックでアメリカナンバー1の地位を築きました。
ランス・バートン
1956~
多くのスタイルを持ったマジシャンとして有名、マジック大会の賞を総なめにしてきた、ローソク、鳩出しなどのマジックは美しく煌びやか、ラスベガスに自分の名前を付けたシアターを持ち100億円を稼ぐスターになりました。
ハーラン・ターベル
1890~1960
通信教育分野で一応花開いた人物、通信教育講座の、「ターベル・コース全7巻」を発売し大好評を博しました。多くのジャンルのマジックが解説されどうすればマジシャンとして成功するかの教科書です。
ダロー・イーストン
1955~
プレゼンから技術まで超一級のエンターティナー。カードテクニック収録の「Encyclopedia Of Card Sleights」が、現代のマジシャンを目指す人たちの必修コース
2001年、大統領ジョージ・W・ブッシュの就任祝いの席でマジックを披露している。
ポール・ハリスを有名にした陰の功労者
ラリー・ジェニングス
1933年~1997年
ボイラー技師をしてたが、プロマジシャンに見せてもらったマジックに感動してマジックを始める。沢山のファンを持つカードマジック研究家で、ダイ・バーノンの愛弟子の一人、演技者としても研究者としてもとても優秀な人物
アンネマン
1907~1942
奇術師でメンタリスト、近代メンタリズムの発展に貢献した天才、1942年、35歳のときショーの直前に自殺
リチャード・カーフマン
1958~
編集者やマジカル・イラストレーターとして有名です。共著出版した挿し絵の美しい大型の豪華本の数は80冊ほど
アレックス・エルムズリー
1929-2006
マジック研究家、本職はコンピューター技術者。1954年にゴーストカウント(エルムズレイ・カウント)考案。 バーノンがこの技法を使った「ツイスティング・エーセス」を発表、応用範囲の広さから、カードマジックの必須技法のひとつに
フィル・ゴールドスタイン
16歳の頃、アンネマンが発行してた雑誌”Jinx”を読み大きな影響を受ける、アンネマンと同じメンタリストになる。数々の賞を受賞1988年には日本で「石田天海賞」を受賞、Max Mavenの名でも知られています。日本語がうまい
マイケル・アマー
1956~
学生の時から心理学の勉強をしながら、スライハンドを学んでいました、26歳の時に大きな賞を受賞してからスターになる、マジックの教え方がうまく、ダイ・バーノンの影響を強く受けるらしい
ハリー・ロレイン
1926~
マジシャンとしても優秀ですが、記憶術本も何冊もベストセラーになっている 「close-Up Card Magic」は、62年に出版されたマジックの入門書としてベストセラー
ポール・ダニエルズ
1938~2016
BBCで1979年~1994年15年間続いた「ポール・ダニエルズ・マジック・ショー」は大人気でした、当初4回分とクリスマス用が作られましたが大人気になりました。
ダグ・ヘニング
1947~2000
バーノンにマジックを習い、27歳の時、ブロードウェイでのし上がりました、1975年からはテレビ放送があり人気に、一番はマジシャンのイメージを一新させ、燕尾服にシルクハットというスタイルからTシャツ、ジーンズ、ヒッピーのようなスタイルが目につきます
ポール・ルポール
1900-1958
少年の時にカードに興味を持ち、20才の時にはプロとして成功、両手からカードが出現する技法は作った人。厳しい練習を積むマジシャンとしても有名、
リッキー・ジェイ
1948~2018
カード投げで有名人、映画・テレビのテクニカル・アドバイザーとしても活躍しています。とくにカードのテクニックにかけてはかなり実力派です。
アル・コーラン
1914~1972
マジックは趣味でしたが29才のときにプロに転向、お客さんから借りた指輪がキーホルダーに入るマジックをする人、69年ナイトクラブを中心に活動し、メンタリストとしての地位を確立しました。米国の番組エド・サリバンショーにおいては「驚きの帝王」と称されました。
スライディーニ
1901~1991
「ミスディレクションの達人」と呼ばれた名人であり、ダイ・バーノンと並び、マジックの世界に影響を与えた人物。47年ごろニューヨークでマジックを教えていました。
カーディニ
1895~1973
シガレット、ボール、カードなどで手練 を駆使したマジックとパントマイムでショーを確立、イギリスからアメリカに渡り活躍したマジシャン、戦争参加した際に戦時でも常に練習に励んだため、手袋をしたままカードマジックができるようになった。
ノーム・ニールセン
1934~
18才でプロマジシャンとして開眼し、結婚して家族と一緒に世界中を旅しました。マジックの道具の製作者でもあり、マジックのコレクターとして有名です。マジシャンのポスター類は、そのレプリカも含めて膨大なコレクションになっています。
チャールス・ジョーダン
1888~1944
マジシャンと言うより、執筆とマジック創作をしてた人、56才で亡くなるまでに沢山のトリックを残しています。
リチャード・ロス
1946~2001
大きなFISMという賞を2回のグランプリ獲得した人は彼一人、55歳の若さ他界
マイケル・スキナー
1947~1998
独学でマジックを勉強しその後、20歳のときにダイ・バーノンに教えを受け、日常品を使いマジック披露しその名を高め、71年にAcademy of Magical Artsのベストクロースアップ賞を受賞し、72年に来日しています。
ゲイリー・オウレット
1945~2002
マジック本の著者、テレビのプロデューサー、ショーのコンサルタントとして有名、デビッド・カッパーフィールドのショーのコンサルタントを始め人気に
ディレック・ディングル
1937~2004
1970年代~1980年代のクロースアップマジックのスター、8歳からマジックを始める、32歳でエンジニアの仕事をやめ、プロマジシャンに
ふーっ…とりあえずここまで、まだまだマジック界の天才やスターはいっぱいいますので、時々追加していきます。